1年半後の日本

afropsychic2005-04-10

花粉と排気ガスとホコリにまみれる新宿南口。そこには人種も宗教も戦争も無く、あるのは金と権力の象徴たるガラス張りのビル群と、他国の人からはあまり感じない”平和ボケ”が全身から滲み出ている人々。嗚呼、これぞ日本。行き交うマスク面の人々を我が者顔で真っ二つにしていくファッションピンクのコートにゴールドのNIKEを合わせた男(ってかあーた相変わらずヒトゴミ嫌いね)の後ろを、感無量の表情を浮かべたままトランクを転がして着いて行く。お上りさんじゃ無いけど、浦島太郎なのは間違いない。


さっさとタクシーへ乗り込む。終わらない道路工事で曲がりくねった山手通りから、新目白通りへ左折。生徒数の減少で廃校になるらしい母校を右手に、客足がめっきり減ったらしい大江戸線駅前のファミレスを左手に通過。手と手のシワとシワを合わせてお仏壇のハセガワを右折すると、一方通行の道ギリギリにまで建て込む住宅地へ。道幅の狭さに、驚いてしまった。まるで大人になってから見た小学校の校庭の様。そんなところに驚いた自分が、なんとも言えなかった。


我が家へ。玄関を開けると、上の階から懐かしい声。重いトランクを引っ張り上げながら階段を上がる。そろそろ”不老不死”という噂が出てきた80を越えるタコヤキオババを筆頭に、書道家の母、マイホームパパ、寝間着のミカリン、みんな元気だった。そして、一ノ瀬家恒例(と言っても数年ぶり)の”タコヤキパーティー”が始まるのであった。