書の道の先に見える物

東京の実家から、書道の道具が送られてきた。
墨と硯、太筆と細筆、文鎮に下敷きまで。
こっちで買うと恐ろしくボラレる品々なので、感謝。


書道は物心着く前から中学生頃までやっていた。
記憶が曖昧なのは、本腰を入れてやっていなかったからで、
ただただ、今や書道の師範代にまでなった母に従いながら。
なんで一生懸命筆で字を書いてるのか、当時はさっぱりだった。
キレイに書けたからなんなんだ?
もっと刺激的なことがいっぱいあるのに…
そんな気持ちだけが募り、何かの節目と共に終わりとなった。


学生時分、ろくに勉強をしないで社会に出たはいいが、
自分の未熟さを思い知らされて勉強したくなったのと同様に、
書道の本質を完全に理解していなかった自分を後悔した。
バランス感覚、呼吸、集中力、姿勢、仮名・漢字文化、風情、
全てが字そのものに影響を及ぼす。
字は心の鏡である。
落ち着きの欠片も無かった幼い頃の自分に、
母が伝えたかったモノはそういうことだったのかも知れない。


パソコン全盛の時代、字を書くことが少なくなった。
だからこそ、再び始める意義があるのかも知れない。
そしていつか、途上国の子供達相手に書道を教えられたら、
僕という人間も、少しは世間の役に立つのかも知れない。


ちょっぴり先が楽しくなってきた。