気になること

afropsychic2004-05-24

先日、同じ職場で働く方が、自衛隊の駐屯地のあるサマワイラクへの一ヶ月出張へ旅立ちました。昨日、南アフリカにいた僕の同期が、クウェイトへ転勤になりました。そして今も、僕の職場での親友がイラクの首都バグダッドで働いています。


そんな状況になると、なんとも気になってくるイラク周辺。情勢という外的な面よりも、もっと日常的な、”そこで生きる”ってことが心配になります。住みやすい日本を離れて見知らぬ土地に住むってことは、言葉とか治安がどうとかっていう”想像出来る範囲の世界”よりも、もっとリアルなモノがあるわけです。実際言葉って物は、その土地にポツーンと一人で行って、死ぬ気になって数ヶ月経ったある日には、いつの間にか最低限理解出来る様になるモンです。それよりも、そこで何か食べて行けるのか、飯を食う以外に何が出来るのか、そーいう感じです。


僕は海外に出て数ヶ月、海外にいるという感覚というよりは、どこか遠くの日本人が少ない場所にいる、という感じで生活してます。実際日本は遠いんだけど、今自分がいるのは此処でしか無くて、周りには同じ様に暮らす色や言葉の違う人たちがいるだけ。日本だって、同じ言葉は話しても、みんながみんなを知ってる訳でも無く、行動する範囲だって人それぞれ限られているわけで。そう、結局は東京も此処も一種の点と点であって、そこに住む自分は此処に存在しているってだけの話で、その場所で生きていくしか無いのです。


先日、同僚と”土日を使ってみんなで旅行でもしようか”という話をしていたところ、新しく日本から来た若者にこんなこと言われました。
『もう普通の人の感覚じゃないっすよ』
彼の言葉の裏には、こういう意味が込められています。僕らは此処から、1・2時間の距離にある土地(フランス、イタリア)へ一泊旅行でもしようかという話をしていて、それは日本に住む人間からは考えられない行動であり、そんなことをサラリと話している僕らはもはや日本人じゃない、と。
もちろん彼の言いたいことは分かる。でも、僕らにしてみりゃ、僕らは其処で生きて行かなきゃいけない訳で。此処が日本だろうが何処だろうが、僕らは生きる為に”楽しみ”を見つけているだけ。外に一歩も出れないイラクに行ったら、部屋の中で楽しみを見つけるしかない。じゃなきゃオカシクなってホントに自分が何処にいるんだかワカラナクなるだけだし。


まぁ結局、何が言いたいのかって、海外に住むという感覚を少し伝えてみたかった訳です。いきなりだけど(笑 日本国内でも、地元を離れてちょっと遠くへ引っ越ししたことのある人には理解してもらえる話かなぁと思うんだけど。ってか、理解してもらえないとなると、やっぱり僕らは既に”オカシイ”ってことになっちゃうんだな〜・・そこが、今僕の心の中で妙に気になってることです(もちろんイラクも気になるけどね)。